修練の心得

其の二十九 継続する

「やすらぎ福祉道」の修練とは、毎日の実践を淡々と継続することです。それしかありません。
しかし、その実践は、口で言うほど簡単ではありません。三日坊主と言われるように、続かないものなのです。たかが、「あいさつ」ですが、されど「あいさつ」です。習慣づけされていないと、このあたりまえのような「あいさつ」さえ、できなくなるのです。
ただ、職場での実践は、常に周りの目がありますので、他の人から指摘してもらうことができます。勝手に止めることができません。それ故に、自然に修練が積めるのです。

其の三十 反省・工夫の繰り返し

自分の発言や行動を振り返り、検挙に反省し、改善を加え、結果を再度検証します。これを、繰り返し継続するのです。
継続は力なり。

其の三十一 施(ほどこ)しの進め

福祉の心を育てるのに非常に役立つ修練法があります。それは、人への施(ほどこ)しを実践することです。人への施(ほどこ)しとは、直接の援助ばかりでなく、環境美化、地域活動、学校の活動など、ボランティア活動と言われるものです。
仏教では布(ふ)施行(せぎょう)と言って重要な行いになっています。布施(ふせ)と言うと、お金を寄付することだと思いがちですが、それだけではありません。笑顔を作ることも、お礼を言うことも、自分の知っていることを教えたり経験を話してあげることも、大事な布施なのです。
このようなボランティア活動を続けていると、自分本意の考えが薄れてきて、皆に助けられて生きていることを実感できるようになります。

其の三十二 絜矩(けっく)の道

中国の孔子(こうし)、孟子(もうし)時代の「大学」で述べられた言葉である。
絜矩(けっく)の道とは、「上(かみ)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もっ)て下(しも)を使う母(な)かれ。下(しも)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もっ)て上(かみ)に事(つか)うる母(な)かれ。前(まえ)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もっ)て後(のち)に先だつ母(な)かれ。後(のち)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もっ)て前に従う母(な)かれ。右(みぎ)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もっ)て左(ひだり)に交(わた)す母(な)かれ。左(ひだり)に悪(にく)む所(ところ)は、以(もっ)て右(みぎ)に交(わた)す母(な)かれ。」

「上の人について好ましくないと考える行いは、(自分も)その行いで人を使わず、下の人について好ましくないと考える行いは、その行いで上の人に事(つか)えず、前の人について好ましくないと考える行いは、その行いで後の人を導くことをせず、後の人について好ましくないと考える行いは、その行いで前の人に従うことをせず、右の人について好ましくないと考える行いは、その行いを左の人に及ぼさず、左の人について好ましくないと考える行いは、その行いを右の人に及ぼさない。」(赤塚忠訳 人望の研究 山本七平著より抜粋)のことである。